『正しいコピペのすすめ』呼吸をするようにコピペする時代だからこそ。

正しいコピペのすすめ

昨年末から著作権について考えさせられることが続いており、『 正しいコピペのすすめ――模倣、創造、著作権と私たち 』を読みました。

何が許されるコピーであり、何が許されないコピーであるのか。

そのあたりの知識が漠然としたまま、長年ブログを運営していました。

その中、『正しいコピペのすすめ』を読んだことにより、著作権を侵害しないコピー、著作権を侵害しているコピー、許されるコピー、許されないコピーなどが少しだけクリアになりました。

自分への戒めと反省の意味も込めて、著作権と許されるコピペを整理していきたいと思います。

尚、以下の記事の引用は『 正しいコピペのすすめ――模倣、創造、著作権と私たち 』より。

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著作権とは。

著作権の制度とは「がんばって作ったコンテンツを、他人に勝手に使われないように国が保護してくれる」制度と理解してよいでしょう。

コンテンツとはすなわち、著作物を指します。

では、著作物とは?

著作権法 第2条によりますと著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」であり、「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と規定し、続けて著作物を列記しています。

以下、抜粋します。

  1. 小説、脚本、論文、講演などの言語の著作物。
  2. 音楽の著作物(詩と曲)。作られた曲が対象。
  3. 舞踏(ダンス)や無言劇(パントマイム)の著作物。
  4. 絵画、版画、彫刻、マンガ、イラストなど美術の著作物。
  5. 建築の著作物。
  6. 地図や図面や図表の著作物。
  7. 映画の著作物。テレビドラマやコマーシャル映像、アニメ。
  8. 写真の著作物。肖像や風景の写真が相当。
  9. コンピューターやゲームのプログラム。

では、個人ブログの文章は著作物なのか?個人が撮影した写真は著作物なのか?

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わたしは今までこのあたりが非常に曖昧でした。

自分の文章や写真を第三者のブログに転載されることは多々ありました。そこに怒りはありましたが、「これははっきりとわたしの文章である、わたしが書いた文章である、わたしの著作物である!」と言いきれる自信がありませんでした。

そこには「著作権を主張できるほどの立派なクオリティを伴っているのか?」という妙な恥じらいがあったように思います。「そんなクオリティ、ないよね」と一人で自分に突っ込みを入れていたとも・・・汗

(著作物とは)高度のクオリティを持たなくてもかまいません。

として、例として幼稚園の幼児の描いた絵がとりあげられていました。それが幼児の「創造性」とに基づいて描かれたら著作物である、と断言されていました。クオリティーは関係ない、重要なのは創造性なのだ、と。

そう、著作物とはそこに作者の「想像性」があるか否かが重要なのです。作者の「創造性」があれば、著作物なのだ、と。

ならば、わたしの下手なブログの文章もセンスの欠片もない写真もわたしの著作物なんだ!と。それはわたしなりに創造性を発揮して考えて書いたものであり、わたしが撮影したものであるならば、わたしに著作権者としての権利が発生するんだ、と視界がクリアになりました。

今までは「わたしの書いた文章なんてしょぼい文章だし、これぐらい誰にでも思い浮かぶよね」「こんな写真、誰でも撮影できるよね」となんだか卑屈な気持ちがあったりしたのですが、ちょっと自信がつきました。

しょぼかろうが誰にでも撮影できようが、間違いなくわたしなりに創造性を発揮して表現しているのですから!

逆に著作物でないものとは何か?

一方、著作物に当てはまらないものもあります。

  • 列車の時刻表
  • 金融データ
  • レストランのメニュー
  • クリーニング店の値段表
  • 事実
  • 50音順の電話番号簿
  • 「おはようございます」「ありがとうございます」などのありふれた表現
  • 料理のレシピ
  • 憲法や法律、条令、告示、通達、判決

創造性が入り込まないものは著作権の対象に入らないそう。

意外だったのは料理のレシピ。考えてみれば、確かにCookPadや料理本で見た目は違うけれど、同じようなレシピがありますね。但し、レシピは著作権の対象から外れますが、創造性に富んだ料理の写真は著作権の対象になる可能性が高いそうです。

逆に言えばこれらの著作物に当てはまらないもの以外はすべて著作物に当てはまり、著作権者が存在し、著作権者の権利が発生する、ということですね。

著作権とは何か、どのような権利を有するのか。

  1. コンテンツを複製(コピー)する独占的な権利(複製権)
  2. コンテンツを人々に伝える独占的な権利(上映権・演奏権、上映権他)
  3. コンテンツを二次的著作物に改作する独占的な権利(本案権、翻訳権他)
  4. 未発表のコンテンツを公表する権利(公表権)
  5. コンテンツに作者名を表示する権利(指名表示権)
  6. コンテンツの内容を変更する権利(同一性保持権)

1から3は著作者のお金に関する権利、4から6は著作者の気持ちや内面に配慮されています。

昨年末からDeNAが運営する「WELQ(ウェルク)」などのキュレーションサイト(まとめサイト)が大きく問題になりました。これは発信する情報の真偽もさりことながら、第三者(著作権者)のコンテンツをパクリ、更新頻度を高め、結果として検索結果の上位を占め、広告収入を稼ぎ出す収益モデルを形成していました。

つまり、手間と時間を惜しんでサイト記事を量産し、利益だけをかすめ取る収益モデルであり、これをフリーライド(ただ乗り)と言うそう。

ともあれ、これにより自分が創作したものをかすめ取られた著作権者はいい気持ちをしませんよね?

わたしが考え、わたしが想像性を発揮して書き、手間とお金をかけて写真を撮影し、加工をしたのに、それを無断で知らない場所で公表されている!

著作権はそれらの不快な感情にも配慮をしてくれています。

著作権は、作者の「得べかりし利益」だけではなく、作者が不快な気持ちにならないことから守ってくれます。

知っておきたい「引用ルール」。

正しいコピペのすすめ

引用は立派に認められている権利です。

『正しいコピペのすすめ』によりますと引用とは「堂々たるコピペが認められている」とのこと。

しかし、なんでもかんでも無制限に引用してもいいというわけではありません。引用にはルールがあります。

  1. 自分のコンテンツとの脈絡において必要性があること。目立たせようというアイキャッチや目的や飾りの目的では使えない。
  2. 自作のコンテンツにパーツ(部品)として取り込むこと
  3. 自分の作った部分と飲用部分が、カギカッコなどによって明確に区別されていること
  4. 自分の作った部分と引用部分のメイン(主)とサブ(副)の関係が明確であること
  5. 引用部分の出所を明示すること

わたしの胸に戒めとして刻み付けておきたいと思います。

著作権者の利益を守ることはもちろん、と同時に著作権者の気持ちを侵害しないことを常に意識する必要がある、と改めて気づかされました。

理想はWinWinの関係ですよね。著作権者も引用者も喜ぶ関係性、と。

人は見たことのないものを作れるのか?創作は模倣から発生する。

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かのシェイクスピアは「鉛を金に変えた錬金術師」と呼ばれたそう。そして、同業者から「盗作野郎」とも。

シェイクスピアの代表作の一つ、『ロミオとジュリエット』(1595年頃)。実はこの作品が発表された30年前にアーサー・ブルックなる人物が『ロミウスとジュリエットの悲しい物語』(1562年)を発表しており、シェイクスピアはこの作品を戯曲に仕立て直したのだそう!

でもね、そもそも、このお話は古代ローマ時代のオウディウスという詩人が残した『ピュラモスとティズベー』が元となっているんですって!古代ローマ ⇒ 1562年 ⇒ 1595年、と実に3度に渡って姿を変えて歴史上に登場しました。

しかも、『ロミオとジュリエット』は舞台や映画、テレビドラマなどで大胆な改変を何度も何度も加えられています。

映画で考えますと、有名なのは舞台を現代のギャングに置き換えた『ウェストサイドストリー』やレオナルド・ディカプリオがロミオを演じた『ロミオ+ジュリエット』。いずれも物語のベースは原作の『ロミオとジュリエット』にほぼ忠実ですが、舞台設定や時代などはシェイクスピアが描いた世界とは大きく異なり、それが面白さや興味深さに繋がっています。

あの『ロミオとジュリエット』からどうやったらこんな風に発想が飛ぶのだろう?とわたしはかなりワクワクしながら2本の映画を観たもの。もしくは原作を知らなければ、原作を読みたくなるかもしれません。

そう、模倣からはじまる創作もあります。

創造とは「無から有」ではなく、「既存の素材の組み合わせ」なのかもしれません。そして、何をどのように組み合わせるかというその方法にこそ、私たちが通常「創造」と呼ぶ行為があるように考えられないでしょうか。

シェイススピアの例で言いますと「リア王」も「ハムレット」はもちろん、彼の記した著作物にすべて何らかの原型があるんですって!シェイクスピアの功績はそれらを拾い上げ、「金」に変えたことなのでしょう。

考えてみれば、わたしが大好きな映画『ブリジット・ジョーンズ』シリーズもジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の模倣からはじまりましたしねー。更にこの『高慢と偏見』は『高慢と偏見とゾンビ』とかいうゾンビ作品にもなり、「?」になったものです・・・

かように模倣は新しい文化を生み出すこともあるのでしょう。

呼吸をするようにコピペの時代。だからこそ著作権を理解する。

わたしは自分がプロのライターだと思ったことは一度もありません。

名もなき主婦であり、一人のブロガーであり、趣味で文章を綴っているようなところがあります。いわばアマチュア。

そんなアマチュアのわたしは著作権を勉強したことがあるのか?と言われると非常にあいまいに。わたしは出版社の元編集ですが、そんなわたしでも著作権に関しては頭を傾げ、悩むことばかり。仕事の上での著作権に関しては会社や上司の意向に則り理解できました。

が、個人的に趣味でブログを運営していくうえでは著作権に関して迷い、惑うことばかりでした。プロではない、アマチュアのわたしにも著作権があるの?と。これをコピペして引用しても大丈夫なの?と。

私事ですが、先日、わたしのブログ記事の全文がyoutube上の動画にパクられていました。その際、youtubeに掲載されている動画を何本か調べてみたところ、見事にパクリ、パクリの世界でした。そもそも、元の著作権者は誰なのか探すのが非常に困難なほど。

加えて、わたしのブログ記事をパクった男は妙な理論を付けて反論してきました。

「動画を制作した僕の著作権はどうなるのか?」

と。意味わかりません。そもそも、その動画に使われている全文の一言一句がわたしの著作物であり、わたしの著作権が侵害されていました。わたしの許可も得ず、無断で全文を盗作して、動画へ加工して、広告収入をあげて尚、「僕の著作権」とはこはいかに?

しかし、動揺したわたしがいたのも事実。「え、動画を作成した彼にも著作権があるんかい!?」と。

その時に改めて「著作権とは何か?」と考えさせられることに。きちんと著作権を理解していないとパクった男の妙な理論に容易く動揺してしまうわたしがいることに気付きました。

それだけに今回の『正しいコピペのすすめ』で「著作権」とは「模倣」と「創造」の区別をつけるものだと理解できて良かったです。今ならトンチンカンなことをほざいた男に「それはフリーライド(ただ乗り)ですよ」と極めて優しく丁寧に慈愛に満ちた態度で指摘できるでしょう。

さて、『正しいコピペのすすめ』は一応、岩波ジュニア文庫から発刊されていますので、著作権に関して非常に分かりやすく書かれていました。難しい話もありません。

インターネットの発達によりスマートフォンやSNS、動画機器などを使って誰もが呼吸するようにコピペする時代だからこそ、著作権に関して今一度振り返ってみるのもありかもしれません。

文化庁:著作権に関する教材,資料等

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